Room54 哲学へのいざない~近代哲学

注) 下記の講座は終了しました

  • 岡本会場 2017年6月17日(土)
  • 大阪会場 2017年6月21日(水)

講習時間・参加費用

※会場別に異なりますので
 右の申込み欄をご確認ください

※終了後の交流会費用は別途

開講会場

岡本会場

三宮会場(レ・ヴィーニュ)

東京会場

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サロン開講によせて

Room54は、2011年のRoom8アリストテレス以来となる久々の哲学である。範囲はおおむね1600年から1950年までの近代哲学とする。近代哲学の父といわれるのが「我思う、ゆえに我あり(コギト エルゴ スム)」で有名なデカルトである。デカルト以前の中世は、信仰を重視する時代であった。そこでは、人間は理性だけでは真理に到達できないとされ、到達するためには神への信仰が必要であるとされた。その後、ルネッサンスや宗教改革が起こって、教会の権威が次第に弱まっていくととものに、科学や数学などの学問が発展していき、時代は近代に入っていく。近代は、理性を重視する時代である。そこでは、理性を使って「真理とは何か」を探求し始めるのである。

さて、先ほどのデカルトの言葉はどういう意味なのだろうか。かつて、オーナーがビジネススクールで論理思考について講義していたとき、デカルトの言葉を、かのアリストテレスが完成させた演繹法(三段論法)で解釈するとどうなるかという課題を出したことがある。正解は、大前提:思う者は存在する、小前提:我は思っている、結論:我は存在するである。しかし、これでは何を言っているのかさっぱりわからない。形式論はさておいて、デカルトの意味するところは何だろうということで調べてみると、だいたい次のような説明がある。真理を追究するために、あらゆるものを疑って不確かなものをことごとく否定していったところ、最後に残ったのは、疑っている自分の存在であった。たとえ、すべてのものが嘘であろうと、嘘ではないかと「我が思っている」以上、「我が存在」することは絶対的に確実である。つまり、思っている我こそは真理であるということらしい。うーん、わかったようでわからない。我が存在することは本当に確かなのだろうかと考え始めると、寝られなくなる。マトリックスという映画をご覧になっただろうか。この映画は哲学的である。マトリックスとは、仮想現実(VR)の世界のことである。映画の中で、人間は脳と人工知能が接続され、マトリックスの中で様々な体験をするが、仮想現実の中では、それが仮想なのか現実なのか判断することは不可能である。そうなると、我が存在することは確かとは言えないではないか。頬をつねると痛いから、これは夢ではなくて現実であると簡単に済ますことはできない。頬をつねって痛いということも、すべてプログラムされているからである。そうなると、話は飛ぶが、先日のRoom52 の仏教でみたように、ゴータマ・シッダールタがすべては無であると、VRも何もない2500年前に達観したことは、すごいことかも知れない。

デカルトの結論が正しいかどうかは別として、彼の発想は哲学界に革命的な変革をもたらし、近代哲学は大いに発展していくのである。スピノザ、ヒューム、ライプニッツ、カント、ヘーゲル、ニーチェなど錚々たる哲学者が近代哲学を彩っている。サロンでは、この時代の哲学者たちが、真理をどのように追及し、どのような結論に至ったかをたどってみる。いくら考えても正解などあるわけではないが、大天才たちの思考をたどることで、日頃、我々が何を信じてよいかについて、自分なりの納得感を得るヒントになるかも知れない。それを期待して参加してもらえるとよいと思う。